Tue, 17 Feb 2004

良心についての考察




お花屋さんの店先に、明るい色の花が並ぶようになった。
ガーベラ、都忘れ、アッツ桜、スズラン、パンジーデージーアリッサム・・・
花だけでなく、野菜や果物でも、その季節には手に入らぬもの、日本の風土からは生産され得ない外国種のものなどをわざわざ求める人の要望に応え、季節を先取りし、あるいは先延べにして生産・出荷されたもの、遠路はるばる運ばれたものが、通常の相場を上回る値段で出回る不自然な現象が当たり前に起こっている。
うっかりすると季節感が麻痺してしまったり、狂ってしまったりしかねない。
普通に春咲く花が、季節通り出てくるとほっとする。

人間の欲望というのは果てが無い。

「人間改造」の元を辿れば、単に悪い所を直して健康でありたいだけ、だったはずが、エスカレートして、美容整形から遺伝子操作に至り、クローンまで作られ始めている。
盆栽は芸術だ。のめり込んだら奥が深く、さぞかし楽しいのだろう。接ぎ木などは園芸の楽しみのひとつで、わざわざ白い花の咲く木に赤い花を咲かせ、愛で興じたりする。品種改良は最早茶飯事だ。どこまでが許されるのか、私にはわからない。
絶対神の居ないこの国では、許しを請う相手は「良心」しかなく、それは他の価値観でいとも簡単に蓋ができるし、かっ飛ばせるし、棚上げもできる。良心は「金」にも、しばしば負ける。
熱帯魚店の水槽で着色された魚が泳いでいたり、ペットショップで奇妙な変容を遂げた動物たちが売られているのを見ると、心底ゾッとするのだ。良心のかけらも感じられない。
まあ面白い、カワイイ、変わっている、といって、買っていく人があるからつくられるのだ。それがとても恐い。
外暮らしの猫たちの中に、あやしい柄の入った子や、長毛種や、外国種にしかない特徴を持った子がいるのを見ると、人が介入した証を見るようで、ザワッとする。
河原猫は河原に棲息する野生種ではない。
人の都合で翻弄され、はじき出され、やむなくそこで生きるだけ、という猫たちだ。
何ともしてやれないことが、毎日悔しくてならない。

確認猫数、16。
お兄ちゃんに会えなかった。
朝の忙しい配膳を、仕事前に通ったM氏土手を下りてきて、また手伝ってくれた。
写真上 笑わないトラちゃん
写真下 いじめっ子の黒長しっぽ



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河原猫の日記



    
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